バックパッカーという名のニート。ワーキングホリデーという名の出稼ぎの二年半を経て私は三年前に日本へ帰国。二年半という無職を過ごした私に故郷である地方都市には仕事があるはずもなく。
私は単身カバンひとつで知り合いが一人もいない東京都へ流れついた。東京にてちょぼちょぼとお金を貯め、忌々しいシェアハウスから去年の年末に杉並区高円寺のアパートへ引っ越した。念願の一人暮らしだ。
オーストラリアのワーホリ時代、タイ人の奴隷として培ったタイ古式マッサージを日本で生かすことができ、当時のご主人さまには今なお感謝し暮らしている。

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(※文は横なのに絵の中の文字は縦書きで読みにくくてごめんね!)

セラピスト一本だと微妙に足らない気がする…パートも週一でやろう。そうやって細々と小銭を稼ぎながら小物の私は幸せに生きていた。
2月の初め、いつものようにお弁当屋に出勤した私に雇い主は
「相談したいことがある」
と話し始めた。私は「なんすかぁ~?」といつも通りアホ面さげてお弁当を並べながら聞いていた。

「今月でお弁当の仕事…小西さん辞めてほしいんだよね」
「!?」
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雇い主曰く、「小西さんは週一だったでしょ?でも週五で働いてくれる人が見つかったからさ…会社としては多く働く人を優先したいからね。その代り、小西さんレストランのホールで働かない?」
ということだった。
週五を優先……週一の私はクビだわそりゃそうだ!!
それが社会的には真っ当な事なのか。オーストラリア時代、中国人、タイ人の奴隷を経験していた私に冷静な判断などできるはずもなかった。
さらに私はお弁当売りが売り場で完全なワンオペであるということを利用し不正を働いていたこともあり、クビには必要以上に反論できなかったのだ。
ほとんどのお弁当商品は弁当ボックスに入ったものをそのまま売るだけであったが、カレーだけはその場で盛り付ける。その際私は、

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鬼のように米を大盛りにし、ルーは具をつめ仕込みまくっていた。
売切れればとっとと仕事を終えて帰ってよかったからだ。カレーをとっとと捌きたい。私は米と肉をあらん限り詰め込みまくった。客は喜んだ。女性客はたびたび「ご飯少な目でいいです」と言い放ってきた。うっせえなと思いつつご飯を減らした。
さらに一万円札を出す客が連続で来るときなどお釣りの千円札が不足し、「うーんお釣り無いから無理ですね~」というインド人に匹敵する接客態度で接していた(インドの店はいつもつり銭がなかった)。
会社からしたら不利益しかない悪党パートであることを自身で自覚していた。

雇い主「そういうことでさ……ホールのほうやってほしいだよね!ランチタイム!」

ニート上がりホクホク時代、別の飯屋にて都内のランチタイムのホールは半年経験したことあるけど、テーブル番号を半年たっても覚えられず大学生のバイトに慰められつつオーナーに「使えねえな!」と罵られたマジで地獄だった経験があったのでそのトラウマから丁重にホールは断った。
でもこんな私を一年以上雇ってくれてありがとう…!これからはセラピスト一本でモリモリ頑張っていきます!指名取れるようにがんばりまーす!

ということで週一の時間があいたため、ブログを書くことにしました!お絵かきも頑張りたい!