バックパッカーという種類の人間がいる。
生活用品を入れた大きいカバンを背負いできるだけ安い方法で世界を旅する小汚い連中のことだ。なんかやたら世界一周とかしている気がする。
私も3年前までその種類の人間だった。世界一周はしていないけど、カバン一つで費用を切り詰めながらユーラシアを横断した。
バックパッカーをすると価値観変わるの?とか自分探ししてんの?とか言われるけどバックパッカー以後も好きな食べ物も変わらないし腐女子だし人の握ったおにぎりは汚くて食えない。たぶん得るものなんて思い出くらいで、失うもののほうが多いと思う。みんな再就職どうしてんだろうな・・・。
でも少しだけ変わることはできたと思う。
日本の地方で生まれて育ち、歴オタ兼腐女子でマンガとゲームとBLとペロペロし、国内を城目当てて一人旅行するくらいであとは引きこもり。さらに友人と呼べるのはオタクの幼馴染が1人でオタ話しかできないコミュ力が死亡している私がバックパッカーをしてどう変わったのか。
まずは、 衛生観念が低くなった。
元々、ペットボトルの回し飲み、人と同じ箸やスプーンなどはマジで吐き気がするほど無理だった。
だが、インドやウズベキスタンなどの砂漠地帯で売店も無い場所で脱水症状を起こし命の危険を迎えた際、そんなクソみたいなことは言っていられず人の水をガブガブ飲み干した。なんだったら自分の水を見知らずの地元民にも分け与えたりもした。
ちなみに家族がそういう回し飲みや同じ食器を使うのを拒否する人たちだったので、帰国し久々に父親に会い、ペットボトルの飲み物を「これうめえ!飲む?」と差し出したら汚物を見るような目で見られ拒否された。
おにぎりは今も無理だけど!
カバンひとつで生きていけるくらいにはたくましくなった。
なんやかんや人間ってカバンに詰めるくらいのもので生きていけるのねっていう、人としての生活基準が下がりまくった。カバン一つで人間は生きていけるという新発見。私はドイタ―の50Lくらいのバックパックで生活してたんだけど、屋根と壁とベッドを貸して貰えればあとはカバンだけで十分生活が営めた(無職)。
その影響で今ではテントやら調理道具やらをバックパックに詰めて登山したりしている。登山とバックパッカーは基本自分の事は自分でやらなければならないことが共通している。
たくましくはなったと思う。
帰る家があることは素晴らしい。帰る場所があるから安心して生きていける。
でも時々、家と仕事があると毎日同じ場所にいる約束をしているようなもんだしめんどくせえなと思うこともある。
私の幼少期の将来の夢は遊牧民だった。
コミュ力がむちゃくちゃ上がった。
といっても私の場合はまじでマイナス1000からのスタートだったので今でもコミュ力は低いままだ。だって私高校の時一人も友達いなかったんだよ!?峰倉かずやの西遊記と北方健三の三国志を読んで終わった三年間よ!?
けど、あらゆる年代の、今まで絶対に関わりあうことの無かった種類の人々と情報交換という名のコミュニケーションを取る事と、情報交換から日常会話とステップアップしていき、「私ってオタク以外とオタ話以外にも人と話せたんだ!」という自信を会得することができた。
情報の少ない国にこれから行く際は、宿で会った人(自分とは逆方向で旅行している人もたくさんいる)からその国の情報を得る必要がある。命に係わる情報なので、そりゃあ必死に聞き出した。ワーホリ以降は英語も少しは話せるようになったので、外国人からもたくさん聞きだした。
「ビザはどうやって取ったのか」「警官に賄賂をせびられたか」「宿はどこがよかったか」などなど。
なんだったら、じゃあ一緒にご飯でも、とか、一時的に一緒に旅行しますかとかもなったりする。
「こういうことは言わない方がいいんだ」とか「ワイワイ数人で話すと楽しいな」とかコミュニケーションの経験値を積むことができた。
そういう風にすこしだけ変わって、なんとなく昔より生きやすくなったなあとは思う。
価値観は少しは変わったかもしれないけど、ようするに、アホになっただけなんだけど思うけど・・・。
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